<関連記事>
謎に満ちた日本古代史を大胆予想! 定型化された前方後円墳の広がり(出典:歴史人) |
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<記事コメント>
<本記事>
1 樽悶 ★ :2023/09/29(金) 14:20:55.06 ID:X+kTfu2n9
古代に日本列島を統治した「倭国」のことを、国内では「やまとのくに」と呼んだ。
漢字表記は、「大和」「倭」「日本」などいくつかあったが、これを当時「やまと」と読んだことは、たとえば『万葉集』の「山跡(やまと)乃国」とか「山常(やまと)」などといった表記や、『日本書紀』神代上・第四段に「大日本〔日本、此 耶麻騰(やまと)と云ふ。下皆此に效へ〕」とあることによって知られている。「やまと」は元は大和国城下郡大和郷(現在の奈良県天理市から桜井市)の地名であって、原義はここにそびえる三輪山(みわやま)の麓という意味であろう。もともとこのような小さな地名であったものが、のちに大和国(現在の奈良県)の国名となり、さらには国家の名前にまでなったのである。これはひとえにこの地域の政治勢力が、奈良盆地全体を治めるまでに成長し、さらにはこの列島の大半を統治し、都を定めるまでに発展したからに他ならない。
「倭国」や「日本国」を普通には「やまと」と読めないにもかかわらず、そう読むのはこうした事情があるからである。 『魏志倭人伝』にみえる「邪馬台国」を、「ヤマト」、「ヤマタイ」国と読むこともほぼ異論はないだろう。3世紀初頭から半ばにかけて卑弥呼が中心地としていたのは、この邪馬台国であった。筑前国や筑後国、またそれ以外にも「ヤマト」という地名は存在しており、邪馬台国がこれらの地名に由来する可能性がないわけではない。
しかし合理的に考えて、この邪馬台国と『記・紀』万葉にみえる「山跡乃国」「山常」が偶然の一致である可能性は、きわめて低いのではないだろうか。
もちろんこの一事のみで邪馬台国=大和国説を唱えるのは早計だが、このことを軽視したり無視したりはできない。
そして卑弥呼の時代にこの「ヤマト」一帯に広がっていた一大集落が纏向(まきむく)遺跡である。ここには最古の巨大前方後円墳である箸墓(はしはか)古墳がある。その築造は3世紀半ば過ぎと推定され、卑弥呼の墓である可能性は十分にある。
この周辺一帯には、箸墓を含む「オオヤマト古墳群」(あるいは「大和・柳本古墳群」)がある。箸墓古墳の後にも、西殿塚古墳、行燈山(崇神陵)古墳、渋谷向山(景行陵)古墳と当時最大級の巨大前方後円墳が造られていた。
このうち西殿塚古墳を卑弥呼の後継者・壱与(いよ)の墓とする説がある。ただ行燈山古墳の被葬者を崇神天皇、渋谷向山古墳の被葬者を景行天皇と確定するには慎重な考察が求められる。(以下ソース)
9/25(月) 17:40配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/4fcac89b433d4a7d61439cd653efa990692cd4b1
★1:2023/09/28(木) 23:18:08.46
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1695910688/
★★★猿でもわかる邪馬台国の九州否定説★★★邪馬台国 論争の背景
http://www.yoshinogari.jp/ym/topics/yama02.html
伊都国(福岡県糸島市)
↓
↓百里
↓
奴国(福岡県博多湾付近)
↓
↓百里
↓
不弥国(福岡県糟屋郡宇美町付近)
↓
↓水行二十日
↓
投馬国(不明)
↓
↓水行十日、陸行一月
↓
邪馬台国
まともな地図を作れなかった古代では距離や方角を常時正確に測ることは難しかった可能性が高い。
しかし、古代であろうと水行、陸行日数を数え間違える可能性はほぼゼロに等しい。
ということは、もうこの時点で方角に関係なく、不弥国のすぐ近くにある(北部)九州の可能性が
一番最初に消えることは猿でもわかるはずだよね???
考古学会も畿内説でほぼ固まっている。
九州説を主張してる人は振り上げたこぶしを下ろせないだけでしょ?
いい歳した大人がいつまでもみっともないよ。
もういい加減あきらめようぜ。
妄想とか願望はちょっと置いといて
ヤマト王権っては文字がないので分からないことが多いが、
少なくとも古墳や出土品から日本全国にその権威が波及していた王権
邪馬台国ってのは魏志倭人伝のみに登場し、位置は正確ではないが限定的な地方勢力
全国に覇権を及ぼすような政体ではないこの事実は受け止めて
ヒノモトを建国し、
ワを併合
日本人にとってなんか意味あるかね
卑弥呼の時代に九州まで大和王朝の勢力下じゃないと日本書紀古事記の年数が捏造だとバレるからなw
だとすれば邪馬台国は地方の一勢力で大和国とは違うと思うんだけど
邪馬台国は九州で大和国は出雲とかその辺なんじゃないの?
はい解決
そんなに纏まってないでしょw
ちょっと考えるだけでも、アイヌ、蝦夷、琉球とあるわけだしw
まあ、日本で言うところの万葉仮名だからなw
日本と中国の読みってそれ程大きな違いはないよね
まあ例えば趙子龍ならザオズーロンだけど
ヤマトに不要なイを足してヤマタイと聞き間違うことはないと思うんだよ
>日本と中国の読みってそれ程大きな違いはないよねいや
全然違うだろw
しかも現在と古代中国語(魏の言葉)の発音も違うだろうし
崇神の在位時期を証明するものなんてなにもない
つまり前でも後でも証明なんて誰もしてないし不可能
倭をヤマトと読むのは日本人による当て読みだよ
海豚とかいてイルカと読ませるとかそういう読み方
全ての倭人は大和朝廷の支配下にあるんだから
倭=ヤマトで良いよね?
という当て読み
中国人にしてみれば倭はワでしかない
そう言ってるんだが?
なんで支が中国語読みなのか分からんし、馬の意味も分からん伊支馬はおそらく活目入彦=垂仁天皇のことだろう
まず名前を聞いて
「どんな人物か?」なども聞いて
字をアテる、それが中華のやる方まあ垂仁天皇で合ってる
定期的にこういうスレが上がってるよなw
日本人は歴史好きというのは本当だねw
歴史じゃなくて「ぼくのかんがえたすごいヤマタイコク」を叫ぶ独り言の集団だよw誰とも会話してないし、根拠もなんにもないんだからね
古代史は思い付きを羅列するもんだと思いこんでる人しかいない
だからべつの歴史スレは伸びない
別に耐え難い苦痛でもねえだろ
その当時日本に文字が無かったってのは要は文字を伝えるほどの文明が
日本のすぐ隣の国にも無かった、と言う意味でしかないんだから(笑)
なにいってんの?www
だからさ
日本に文字を伝えるほどの影響力も文明水準も
当時の朝鮮半島には無かった、って事だろ
あったら伝わってるよなw
だからさ
朝鮮に文字を伝えるほどの影響力も文明水準も
当時の中原には無かった、って事だろ
あったら伝わってるよなw
楽浪郡や帯方郡とか中国の役所が置かれてる時点で卑弥呼の時代の朝鮮半島では当たり前のように文字が使われとるわな
~266年までは九州
3世紀後葉から空白の4世紀以降は畿内3世紀後葉~にいったい何があったのか?
中華の歴史書には倭王武の先祖が西に66国平定したと書いてあり
記紀には景行仲哀の頃に九州征伐したと書いてある
つまりそんなに議論するほどのことはない
ちゃんと記録に残されてる
記紀を根拠にしてるのは畿内説だからなんとも言いようがない……
記紀を根拠にしたら邪馬台国も卑弥呼も関係ないと思うけどな
わたしからは以上だな ミカエル(悟ったもの)より
他国のことだし
でもそれしか残ってないからそこから無理矢理考えるしかないもんな
2倍暦年はあり得ない
古代天皇の異様な長寿の辻褄を合わせる為にデッチ上げた幼稚な作り話
大和武尊って実在してたら4世紀中頃だろ
卑弥呼の時代とは1世紀違う